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2014年03月13日
1月23日、YUCARI 「日本の手わざ」の取材で、岩手県の伝統工芸品「南部鉄器」の名工「釜定(かまさだ)」さんを取材。作家の塩野米松氏の同行取材。釜定さんは明治末期から創業している老舗で現在の宮伸穂さんで3代目となる、南部鉄器を代表する工房だ。瀟洒な店舗の奥に工房があり、若い職人さんが昔ながらの作業場で黙々と作業をする。鉄器は、すべて熟達した職人の手作業から生まれるのだ。伝統工芸品も、需要がなくなりすでに消えてしまったものもあるが、需要があっても、それを受け継ぐ人がいないと消えていく運命にある。ここ釜定さんでは、この仕事に誇りを持って作業をしている若い職人さんたちばかり。次代を担う職人さんたちの作業姿に、頼もしさを感じる。
<釜定>明治末期、宮定吉が創業。代々、オーナー自ら意匠・制作にあたり、その技術を守るとともに時代と共にそれを変化させてきた。三代目に当たる宮伸穂さんは、金沢美術工芸大、東京芸大大学院にてデザインを学び、フィンランドへのデザイン留学。世界的に認められた南部鉄器の名工。〒020-0885 岩手県盛岡市紺屋町2−5 TEL:019-622-3911
(撮影は菅原孝司カメラマン)
※この記事は3月20日発売、マガジンハウス発行「YUCARI」 13号に掲載されています。
2月5日、YUCARIの取材で山梨県甲府市の甲州印伝「印伝屋」さんへ。印伝は鹿革をなめして創る伝統工芸品で、印田屋さんは、これに伝統の漆模様をつける手法を用いる。鹿革の独特の風合いと使い勝手の良さ、そして手頃な値段で、日本で最も人気のある伝統工芸品のひとつだ。これも職人さんたちの熟達した手仕事から生まれるものだが、ここ印田屋さんでも若い職人さんたちがそれを担っている。南部鉄器と違って、ここでは、デザインから、皮の燻し、漆での色付けなどなど分業体制が整っており、効率よく製品を市場に出すシステムが作られていた。(撮影は菅原孝司カメラマン)
※この記事は3月20日発売の「YUCARI」13号に掲載されています)
3月5日〜9日まで、ベトナム新聞「PUREMIUM JAPAN」の取材でホーチミンへ。今回はエグザイルの若手グループ「GENERATIONS=ジェネレーションズ」のホーチミンコンサートの同行取材。
ホーチミンに進出したイオンモールの吹き抜け会場で、ベトナムのトップスタートのコラボレーションコンサートー。コンサートは大成功で、ジェネレーションズはベトナムの若者たちに日本以上の熱狂的な歓迎を受けた。アジアと日本の架け橋に、というプロモーション戦略で、すでに台湾で2回、今回のベトナムで3回目となるが、いずれも成功している。ジェネレーションのメンバーたちも、プロモーション戦略というだけではなく、ほんとうに自分たちがアジアとの架け橋になりたい、と思うようになっている。今後が楽しみ、応援したい。
ベトナムで印象的だったのが、町の人々の明るい笑顔。ちょっとシャイだが、カメラを向けるとニコニコとVサイン。すごくかわいらしい。かつての日本もこうだったのかな、とちょっと懐かしい気分になる。
ベトナム戦争記念館にも行ってみた。写真の展示が中心。見ていて胸がつぶれる思いだったが目が離せない。世界で最も影響力のある写真に選ばれた、有名な「泣いている子どもと米軍兵士」の写真の前では涙が止まらなかった。ベトナムの人々の笑顔と、この戦争の悲惨さ。このギャップに少し戸惑っている。
2014年03月28日
東京都伝統工芸品「江戸すだれ」の取材で浅草の田中製簾所へ。
古くから室内のしきりや日よけなどに使用されてきた簾だが、その歴史は古く、平安時代に書かれた清少納言の「枕草子」にも登場している。江戸時代には、将軍や大名などの高い身分のものだけでなく、商家や庶民の間にも広まり、すでに簾専門の職人がいたことも記されている。そして、この江戸時代にはぐくまれた伝統的な技術が今も継承されているのだ。
田中製簾所は、明治初期より百年余年受け継がれている老舗。浅草寺から歩いて10分ほど、いわゆる浅草職人町の一角にある。現在、五代目となる伝統工芸士の田中耕太朗氏が、300年に渡って継承されてきた伝統技術を基礎に、現代の生活に寄り添ったデザインと、優れた品質の簾づくりを追求している。
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