Jazz Diary 杉田宏樹のジャズダイアリー

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2007年05月アーカイブ

2007年05月03日

「ブラジルから来た新感覚アーティスト」

 ブラジル北東部ノルデスチを代表するアーティストで、2004年日本公開映画「モロ・ノ・ブラジル」で知名度を高めたシンガー=シルベリオ・ペソーアのグループを、六本木ヒルズアリーナで観た。六本木ヒルズにはこれまで何度も訪れているが、テレビ朝日前の広場に設けられた屋根付きのオープン会場である同アリーナには、今回初めて足を踏み入れた。ブラジル産ビールを買って、開演前から気分を盛り上げる。舞台はトロピカルな雰囲気を醸し出しており、夏を先取り、といった感じだ。
 18:30過ぎにメンバーが登場すると、すぐにお祭りムードでステージが進行。初来日のペソーアは今夜が初体験だったのだが、魅力的な声を持つヴォーカリストであることはすぐにわかった。ヴォーカルだけでなくエフェクターも操作して会場を盛り上げる。バック・バンドはアコーディオン、バンジョー、パーカッション、エレクトリック・ベースなど伝統楽器と現代楽器が混ざった編成。それは彼らの音楽性にも反映されていて、ブラジルの伝統的な要素と、エレクトロニクス、ドラムンベースといった現代的な要素が融合したサウンドが展開された。
 ブラジルといえばサンパウロとリオ・デ・ジャネイロが有名だが、ペソーア自身は両者とは異なる地元の特性を打ち出していると主張し、音楽家としてのプライドを示した ステージの終盤、例によって観客に歌唱指導すると、ほとんどペソーアの指導通りに観客が反応したので本人がビックリの表情。「日本人は大人しい」という事前情報とのギャップを感じたか。そんな表情も含めて、ぼくは初対面のペソーアに好印象を抱いた。場内は大盛り上がりの1時間半であった。
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2007年05月08日

現代最高峰トリオの第2夜

 4月30日の初日に続き、キース・ジャレット・トリオの東京での第2夜となる上野・東京文化会館公演を観た。この間、大坂と神奈川での公演を行っており、初日とは異なる選曲によってファンに感動をもたらしたことが伝えられている。今夜は短期のジャパン・ツアーでの4回目となるステージ。初日と同様、定刻から5分遅れで演奏は始まった。ステージに登場したキースがピアノに向かってから、演奏する楽曲を決めるのがスタンダーズ・トリオの流儀。1曲目は意表を突いた「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」だった。多くの曲はキースのピアノ独奏で始まる。そこで示されるメロディーやコード・チェンジでゲイリー・ピーコックとジャック・ディジョネットがそれがどの曲であるかを認知し、イマジネーションを膨らませながらテーマ・メロディーの準備をする。
 キースがバラードの独奏を始めた冒頭で、ディジョネットがスティックからブラッシュに持ち替えたのは、その好例だった。「ドキシー」「アイ・シュッド・ケア」「バラード・オブ・ザ・サッド・ヤング・マン」等を演奏したが、全体的な出来では初日が勝っていたと思う。アンコールは初日と同じく「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」と「ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。終演時刻は通常通りだったが、初日よりも20分早かった。過去四半世紀の歴史を体感しているファンにとっては、ディジョネットの爆発度がやや足りなかった恨みは残るが、高い集中力を見せたキースや完全復調したピーコックの演奏は収穫だった。会場に集った観客のどれほどが意識していたか、今日はキースの62歳の誕生日。だからといって特別な感じではなかったのがキースらしさと言うべきかもしれない。

2007年05月10日

現代最高峰トリオの第3夜

 キース・ジャレット・トリオの最終日となる新宿厚生年金会館公演に行く。近年のキース・トリオは東京文化会館やオーチャードホールへとシフトしていたが、厚生年金は85年の初めての映像作品を収録した会場として、長年のキース・ファンには印象深い。音響面では定評のある老舗ホールだ。東京での3日目にして5回のジャパン・ツアーの最終日となる今夜。これまではスタンダード・ナンバーを中心としたプログラムで、即興曲は封印しており、今夜もそのようになることが予想された。ファースト・セットは「バイ・バイ・ブラックバード」「いつか王子様が」「コンセプション」といった既発作からの再演曲が並んだ。そんな中で異変が起きたのは、ラストの「ストレート・ノー・チェイサー」。ドラム・ソロをはさんだ3人によるテーマに続いて、キースがアブストラクトな演奏をすると、3人のインプロヴィゼーションへと場面が進んだのである。

 この予期せぬ展開は演奏がストンと落着して解決をみた。セカンド・セットでは今回のツアーでこだわっている『ブルースをそっと歌って/アート・ファーマー』収録曲「ワン・フォー・マジド」を再演。アンコールの1曲目で「ポインシアーナ」が流れてきた時、彼ら3人の原点に50年代のアーマッド・ジャマル・トリオがあった史実を想起した。2曲目のアンコール曲「アイ・ソート・アバウト・ユー」が終わった直後、ステージ中央に歩み出たゲイリー・ピーコックが、キースに向かって両指で涙を流すジェスチャーをすると、キースは微笑。「バラードの名曲をキースといっしょに演奏していて、ぼくまで泣けてきたよ」というメッセージを受け取った客席からも、大きなリアクションが起こった。結成から25年目を迎えたトリオの前進する現在形を堪能した夜だった。

2007年05月11日

日本におけるイタリア2007・春

 現在イタリアの文化・芸術・グルメ・観光等々を日本に紹介するイヴェントが各地で行われている。今夜は「中央アペニン・トリュフ街道セミナーとウンブリア・ジャズ・コンサート」が、九段のイタリア文化会館で開催された。まずイタリア人担当官が、ジャズ・フェスティヴァルの本拠地であるペルージャと同祭の歴史を紹介。そして特産物であるトリュフの魅力を語った。その後ピアニストのダニーロ・レアがステージに登場し、50分間のソロ・パフォーマンスを披露。 1957年ビチェンツァで生まれ、ローマ音楽院で学んだ後、75年からプロ活動を始めたベテラン。

 近年トリオ作が日本発売されて、ようやくこちらで認知されたという経緯がある。ソロ・ピアノは「イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー」「枯葉」といったスタンダードを織り交ぜながら、15分間連続の演奏を展開。さらにイタリアゆかりのナンバーも取り上げながら、個性を浮き彫りにする。ドン・プーレンを想起させる右手の動きを含めて、パーカッシヴなプレイは、アルバムを通じて抱いていたイメージを嬉しく覆すものだった。終演後そのあたりの事情を、国内盤を制作した原プロデューサーからヒアリング。ロビーでの立食パーティーはイタリア料理と、直スライスのトリュフが振舞われて大満足だった。

2007年05月12日

プラハの新世代ピアノ・トリオが初来日

 鯨の尾(?)をあしらったカヴァーのアルバムがピアノ・ファンから支持を得たチェコのヴィート・シュヴェツが、初めて日本にやってきた。シュヴェツはベーシストなので、正確に言えば“ベース・トリオ”なのだが、楽器編成からするとピアノ・トリオに区分される。そのあたりも今夜の見どころとなった。会場の新宿ピットインはほぼ満席の集客。日本のレコード会社との契約がないア?ティストが、これほどのファンを集めたのは嬉しく、驚きでもある。彼らがリーダーであるシュヴェツを目当てに来場したのか、それとも新しいピアノ・トリオという関心点で来場したのか、いずれの理由なのかはわからない。  

 ステージで曲紹介等のMCを務めたのは、ピアニストのマチェイ・ベンコだった。このシーンだけを見ると、リーダーがベンコだと思うのも自然だ。シュヴェツはシャイな人物なのだろうか。そこであえてシュヴェツに焦点を当てて聴き進めると、様々な点が見えてきた。チェコ出身者らしい作曲センス、ベース音の明瞭さと演奏の正確さ、硬質な音色と粒立ちのいいタッチと、シュヴェツの美点が浮き彫りになったのである。鯨の声を模したようなアルコ・ベース音は、チャーリー・ヘイデンのECM作が重なった。招聘者がCDを聴いて気に入り、現地でスカウトしたことで本公演が実現した経緯も見逃せない。アンコールに「煙が目にしみる」を演奏。これを足がかりとして、さらなる飛躍を期待したい。

2007年05月18日

トップ・イタリアン・ジャズの1週間

 5月14日から19日までの6日間、イタリアを代表するジャズ・フェスティヴァルの主催者であるウンブリア・ジャズが後援する「トップ・イタリアン・ジャズ」と題した連続公演が“ブルーノート東京”で開催された。エンリコ・ラヴァ&ステファノ・ボラーニ・デュオ、エンリコ・ラヴァ・クインテット、ステファノ・ボラーニ・トリオの3組が2日ずつ出演。  

 ぼくは1日おきに3組のステージを観た。総論を言うと、スタンダード・ナンバーに頼らず、オリジナリティを打ち出したパフォーマンスが、これほど多くの観客から支持されたことを目の当たりにしたのが感動的であった。ステージの詳細は6月20日発売の「スイングジャーナル」7月号を参照してください。

2007年05月20日

邦人ビッグ・バンドの定期公演

 春と秋、年2回のホール・コンサートが定例化している角田健一ビッグ・バンドは、このジャンルで日本屈指のレギュラー・バンドとして高い評価を得ている。今日は「紀尾井ホール」での定期演奏会を観た。毎回テーマを決めてステージに臨む彼らは今回、デューク・エリントン、カウント・ベイシーからチック・コリア、さらには重要なレパートリーとなっている武満徹まで、ヴァラエティに富んだ選曲を用意。2部構成で2時間半近いパフォーマンスを務めた。客席を見渡すと、小中学生の姿がある。  

 学校教育の一環なのか、それとも「スウィング・ガールズ」効果なのか。角田BBが子供たちに教育的効果をもたらしているのなら、ジャズ関係者としてこれほど喜ばしいことはない。最初はアンサンブルの素晴らしさを披露し、やがてメンバーの個人的な魅力をフィーチャーしてファンの共感と笑いを呼んだステージ進行に、定期公演を重ねてきた角田のリーダーシップとエンタテインメント性を感じた。ソリストではトランペットの宮本やすしが大活躍だった。「ビッグ・バンドよ永遠に」をポリシーに掲げる角田BB。今後もその志を貫いてほしいと思う。

2007年05月23日

フィンランド・フェスタの前夜祭

 フィンランドの音楽を紹介するため、エージェントやレコード会社の関係者が来日し、日本の音楽関係者と親睦を深め、商談を進めるためのイヴェントが「フィンランド・フェスタ・イン・東京」だ。ぼくは2年前に同フェスタに出席したことがきっかけとなって、ヘルシンキのジャズ・フェスティヴァルに招待された経緯がある。今夜はその前夜祭と言っていいレセプション・ブッフェが「南青山CAY」で開催された。

 開場に入ると、同フェスタの主催者であるフィンランド音楽情報センターのユータ・ヤーッコラ、Rockadillo Recordsのタピオ・コルコス、ヘルシンキ滞在時にお世話になったUMOのアンナマイヤ・サーレラ、トーマス・ノレイラら、関係者のみなさんと旧交を温めた。ディスクユニオン山本氏とも久々にワインを飲みながら談笑&情報交換。このような形でフィンランド人と日本人が関係を深められるのは、実に喜ばしいことだ。終宴後、iTunesのキース氏、TSUTAYAの豆野氏らと居酒屋へ移動し、4人の宴となった。

2007年05月24日

南青山と銀座でジャズ関係者とミーティング

 「フィンランド・フェスタ・イン・東京」のトレード・ショウのため、南青山「モーダポリティカ」へ。同フェスタはフィンランド音楽情報センター(FIMIC)とミュージック・エクスポート・フィンランド(MUSEX)の共同主催。昨年は「フィンランド音楽の日々 イン・東京」と題して赤坂アークヒルズのジェトロで開催された。今回ジェトロが絡まなくなったということは、FIMICとMUSEXが日本市場で力をつけてきた証と言えるだろう。会場ではRockAdilloのタピオ氏からトリオ・トウケアットやヤルモ・サーリ・ソルなどの新譜を受け取る。ここ数日メールのやり取りをしていたAbovoiceの設立者でジャズ・ギタリストのニクラス・ウインターと、会場で会う約束をしていたのだが、急遽横浜へ移動したとのことだった。
このトレード・ショウは主に日本のレコード会社を対象としたものだが、ぼくにとっては日本のレコード店に並んでいないCDや、現地の新鮮な情報を得る機会になっている。それらを誌面や番組で反映することが、ジャズ・ファンに対する有益な情報発信だと思っている次第。帰り際、55Recordsの五野代表とばったり。

 銀座へ移動して山野楽器へ。3Fのジャズ・コーナーでスタッフの神尾氏と情報交換。そこでSSJ三具氏とばったり。先頃同氏からクロード・ウィリアムソンのライナーを依頼され、メールでやり取りをしたばかり。フランク・シナトラのエキスパートである三具さんは、昨年レーベルを立ち上げて、ヴォーカル作を中心にアルバムをリリース。最近はシナトラゆかりのインスト作のライセンス発売も手がけている。近くのカフェへ移動して、最新情報を交換した。

2007年05月26日

ミュージック from フィンランド

 パーティー、トレード・ショウと進んできた「フィンランド・フェスタ・イン・東京」。昨日はロック?メタル系のバンドが出演するライヴが新宿で行われた。本日はジャズ・アーティストのライヴが「新宿ピットイン」で昼夜2公演開催。午後3時からの昼の部は、マキガミサンタチ+サム・ベネットがオープニッグ・アクトを務めた後、フィンランドからやってきたメムノンが登場した。電気カンテレ奏者のエヴァ・アルクラと、サウンドデザイナー(laptop)のヴィレ・ヒュヴォネンの2人によるユニットだ。以前原宿で彼らのステージを観たことがあって、フィンランドの伝統楽器を自分流にアレンジしてコンテンポラリー・ミュージックを創造する独自の姿勢が印象的だった。今日は約40分間、ノンストップのパフォーマンスを披露。ステージ後方に映像を写し出すステージは、ぼくがこれまで「ピットイン」で体験したことのないもので、次第に東京からフィンランドへ自分が移動しているような感覚にとらわれた。次に登場したのはヤルモ・サーリ・ソル。ワンマン・ギター・バンドと呼ばれるサーリは、ステージにサウンド・モデリングラックを用意して音を重ねながら、バンド・サウンドを作りこむライヴ・パフォーマンスを得意とする。2年前にヘルシンキに行った時、深夜のライヴ・ハウスで初めてサーリのステージを観た。その時の印象に比べると、今日はやや大人しかったかもしれない。  

 サーリの娘が父親の名前を連呼する声のサンプリングを、最初と最後に流して、パフォーマンスに物語性を加えた。 夜の部は太田恵資(vln,vo)と佐藤正治(per,vo)のデュオが露払いを演じた後、ティーム・マットソン5が登場。昨年リーダー作をリリースしたマットソンは、ファイヴ・コーナーズ・クインテットに代表されるハードバップ・ベースの新世代ミュージシャンの1人に位置づけられる。演奏はマイナー調のナンバーが多くを占め、60年代のマイルス・クインテットを消化したバンドの音楽性が浮き彫りになった。本日トリを務めたのはアラマーイルマン・ヴァサラット。tb,ss,p,cello,el-cello,dsからなるセクステットだ。ベーシストが不在の代わりに、チェロが2本というユニークな編成。しかし彼らがユニークなのがそれだけでないことが明らかになるには、さほど時間がかからなかった。母国の伝統音楽に立脚しつつ、クレヅマーの要素も感じさせながら、観客を笑わせるショーマンシップも見せてくれたのである。ほとんどの観客が彼らを初めて観るはずなのに、これほど客席が沸いたことが驚きであり収穫だった。しかも普段の「ピットイン」の客層とは異なり、若い女性客が目立ったことを特筆したい。客席の喫煙率が低かったことは、同店の新しいお客様が生まれていることと、ヨーロッパ・ジャズが確実に浸透している現実の証だと思った。

2007年05月28日

感動の輪が広がる話題の邦画

 リリー・フランキー原作の映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を観た。ベスト・セラーを記録した原作本はスペシャル・ドラマ?連続ドラマとTV化され、舞台化も決定している。ぼくは原作を読んでいないし、TV版も観ていない。舞台に行く予定もない。では何故映画版に行ったのかというと、松たか子が出演しているからなのであった。物語の筋は大まかにわかっていた。しかし実際に映画を観て、予想とは異なる部分で驚いた点が随所にあったのである。原作者のリリーさんは1963年生まれで、物語の半分は生まれ育った九州が舞台。  

 ぼくは彼よりも3歳年長で、東京生まれの東京育ちという違いがあるが、子供時代のエピソードに数多くの共通点があった。それが驚きだったのだ。母親の内職、プラッシー、両親の煙草、チープなドライブ・ゲーム・・・次第に自分の子供の頃の記憶が甦ってきて、スクリーンを観ながら別のストーリーが同時進行し始めた。ボクが上京してからの物語にも、自分と重なる点がいくつかあって、これには参った。オダギリジョー演じる主人公の恋人役であるたかちゃんは、始まってからしばらく経ってようやく画面に登場。入院中のオカンに語りかける長回しのシーンがハイライトとなった。それにしても抗がん治療に苦しむオカン役の樹木希林の壮絶な演技には圧倒された。

2007年05月30日

フィンランド・ジャズの第2週

 先週はレセプション・ブッフェ、トレードショー、昼夜のクラブ・ライヴと、フィンランド・ジャズを集中的に紹介するイヴェントが連日開催された。今夜は日本人ミュージシャンとの混成バンドが新宿「ピットイン」に出演。リーダーのニクラス・ウインター(g)は2年前にヘルシンキのジャズ・フェスティヴァルに取材に行った時、同地で初めて会ったギタリストだ。自主レーベルAbovoiceの主宰者でもあり、今回はミュージシャンのみならずビジネスマンとしての来日目的もあった。2年前にぼくがフィンランドを訪れた直後にニクラスは来日しているが、今夜はその時と顔ぶれが変わったバンドだ。

 何よりも特筆すべきはファイヴ・コーナーズ・クインテットのフロント・メンバーとして人気者になっているユッカ・エスコラ(tp)が参加したこと。会場はエスコラ目当てと北欧ファンの若者が多数詰め掛けていて、ヨーロッパ・ジャズに新しい流れが生まれていることを実感した。演奏はシリアスでシャイなキャラクターを反映したニクラスのナンバーと、明るいサンバ・テイストのエスコラのナンバーとで構成。ステージが進むにつれて日欧のミュージシャンが、バンドとしての緊密性を形作ったあたりが収穫だった。終演後ニクラスと旧交を温めた。年内にセヴェリ・ピューサロ(vib)を含むバンドでの再来日が決定したとのこと。こちらも楽しみである。

2007年05月31日

新世代オーガニック・ジャズ・ヴォーカリストが

 昨年リリースされたデビュー作『ユアーズ』がiTunesトップ・ジャズ・チャートで1位を獲得するなど大きな反響を呼んだサラ・ガザレク。1982年シアトル生まれのフレッシュなヴォーカリストである。第2弾『リターン・トゥ・ユー』の日本発売の直後というグッド・タイミングで、サラが3度目の来日を果たした。新作は前作以上にポップ曲の比重が高まっていて、ジャンルに縛られないヴォーカル・サウンドに仕上がっている。今夜は丸の内「Cotton Club」でのステージ。

 レコーディング・メンバーでもあるレギュラー・トリオを従えて登場した。ぼくは約1年前に同じ会場でサラの初来日公演を観ているのだが、プログラムが進むにつれて歌唱・ステージ運び共に成長していることを感じた。今回を含む来日公演がすべて「Cotton Club」への出演ということで、サラが日本でのホームグラウンドと感じ、それがリラックスしたパフォーマンスに好作用したとも言えよう。スタンダード・ナンバーの「アイム・オールド・ファッションド」では、グロッケンシュピールを演奏しながら歌唱。パフォーマーとしても進化している姿を見せてくれたのが収穫だった。

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